2013年 11・12月例会
「殿様と私」~殿、踊りましょうぞ~
文学座ブログ
日時 11月3日(日) 16時開演
会場 知多市勤労文化会館
劇団M.O.P.(2010年解散)を主宰し、劇作家としてばかりでなく演出家としても大活躍中のマキノノゾミの新作に文学座が初めて取り組んだ作品です。
往年の名作『王様と私』をベースに日本の明治時代、西洋化が急速に進む東京でいまだ封建的な文化に固執する子爵とアメリカ人女性アンナとの交流を軸に、日本の夜明けをコメディタッチで再現し好評を得ました。マキノ氏曰くこの作品の原点は、ニューヨークでミュージカル『王様と私』に接した時に抱いた、「タイ人である王様が自由に英語を操る」という事に対して感じた、同じアジア人としての不快感だったそうです。
日本の夜明けを見事に活写し、「極めて質の高いエンターティンメント作品」(読売新聞劇評)との評て、読売演劇大賞・作品賞、優秀男優賞(たかお鷹)、芸術祭大賞(たかお鷹・演劇部門)受賞と社会的にも高い評価を得た『殿様と私』、初演時創作の舞台裏にはそんな熱い気持ちも隠されていたのです。
若手とベテラン、8人の出演者それぞれの個性がいかんなく発揮される本作。長男義知役に佐川和正を新たに迎え入れ、168回という積み重ねられた上演回数に新たな風を吹き込む今回。ついに今年でファイナルとなるツアーの千穐楽は12月23日の調布グリーンホール。
磨き上げられた「極上のエンターティンメント」を皆様にお届けします。乞うご期待!!
<あらすじ>
1886年(明治19年)、東京・麻布鳥居坂の白河義晃子爵邸。当主の白河義晃は急速に西洋化する日本になじめず、酒浸りの日々を送っていた。
ある日、外務卿・井上馨の書生と白河家の家令雛田源右衛門の間に一悶着が起きた。雛田は時代遅れのちょん髷をからかわれたばかりか、因循姑息な白河子爵は華族の資格なしと罵倒されたのである。それを聞いた義晃は怒り心頭に発し、これまた時代遅れの討ち入りを決意。
しかし、〈白河家を守るには鹿鳴館に乗り込み、見事なダンスを披露して和魂洋才の手本を示すこと〉という長男義知の提言に、お家のためならやむを得ずと渋々承知の義晃。米国人のアンナ・カートライト夫人を指南役に、義晃のダンス修行が始った。
さて、その成果は・・・。
<キャスト>
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2013年 7・8月例会
「どろんどろん」
劇団民藝
日時 7月14日
会場 知多市勤労文化会館
作=小幡欣治 演出=丹野郁弓
長谷川勘兵衛は芝居の大道具師。近頃怪談狂言を手掛け、身の回りに不吉なことが起こっていた。不安がる勘兵衛の家族たち。そんな折、当代の人気役者菊五郎が主演する鶴屋南北の新作『東海道四谷怪談』のための仕掛け「戸板返し」「提灯抜け」を作るという難題が舞い込む。長谷川の暖簾を賭けた大仕事に取り組む勘兵衛は、菊五郎の養子、松助との間に事件を起こした息子長吉を破門して、一番弟子の半次に職人衆を仕切らせるが……これがやがて一家を巻き込む大騒動に発展してゆく。騒動の渦中でも初日は刻々と迫ってくる。道具の仕掛けをめぐって作者南北、役者菊五郎、そして勘兵衛、三者の意地が激しくぶつかり合い、暗礁に乗り上げてしまう。さて、新作狂言の初日は無事にあくのだろうか……。
2013年 5・6月例会
「モリー先生との火曜日」 加藤健一事務所
日時 5月31日
会場 知多市勤労文化会館
人気スポーツライターのミッチ・アルボム(加藤義宗)は、複数の新聞やラジオ、テレピ等で活躍し、多忙なスケジュールをこなし、順風満帆の日々を駆け抜けていた。
ある日、偶然見ていた深夜のニュース番組「ナイト・ライン」で、大学時代の恩師モリー・シュワルツ教授(加藤健一)がルー・ゲーリック病(筋委縮性側索硬化症/ ALS) という難病である事を知る。画面の向こうで語る老教授の姿に胸を打たれたミッチは、大学を卒業してから初めてモリーの自宅を訪ねる。16
年ぶりに再会したモリーは、歩行器姿で、しかし学生の頃と変わりなくミッチを迎えてくれた。
最初は余命わずかな恩師に義理を果たすため、一度だけの訪問のつもりであったが、モリーと言葉を交わすうちに、人生の成功者であるミッチは自分自身の生き方についてふと疑問を抱き始める……。
「君は自分自身に満足しているかい?」モリーの言葉が脳裏から離れないミッチは、再びモリーに会いに行く。容態が悪化し車椅子に座ったモリーだったが、ミッチの訪問を大歓迎する。不自由な体でー生懸命ミッチとの大切な時間を楽しむモリー先生。
2013年 3・4月例会
劇団俳優座「樫の木坂の4姉妹」
日時 3月17日
会場 知多市勤労文化会館
長崎港を一望する古い石畳の坂道を、土地の人々は樫の木坂と呼んでいる。樹齢数百年を越える樫の老木が葉群れを広げる葦葉家は山の斜面を切り拓いただらだら坂の中腹にあり、被爆者である老三姉妹の生活を撮り続けているカメラマンの州崎が通っていた。
2000 年、長崎が夏を迎えようとしていたある日、州崎は部屋のピアノについて尋ねる。それは四女のゆめが双子の姉の供養のために買ったものだった。
…今から55 年前、両親と兄、四姉妹の7人家族のあたたかく穏やかな日々がいつまでも続くように思われていたあの頃……。
戦争、特攻による兄の死、姉(妹)の死、被爆…。
「わたし達の毎日には一度だって8月9日が消えたことがなかとーー」
戦争が終わっても残された三姉妹は常に忌まわしい過去と被爆の現実に向き合わされていた。