第43回(46回)例会 マクベス

2020年 3・4月例会

劇団東演

 

日時  3月12日(木)

     18時半開演(18時開場)

 新型コロナウイルス対策で延期となりました

             12月11日(金)

     18時半開演(18時開場)

会場 知多市勤労文化会館

 

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作/W・シェークスピア
翻案・演出・美術・衣裳/V・ベリャコーヴィッチ
訳/佐藤史郎
演出補/O・レウシン

 

近年、「どん底」「ハムレット」「検察官」と劇団東演で精力的に演出してきたV・ベリャコーヴィッチ最後の演出作品。劇団創立60周年記念公演の第一弾としてモスクワ・ユーゴザパト劇場と提携し総力を挙げて上演します。現・芸術監督、O・レウシン氏が演出補として俳優、スタッフと来日、今までにも増して、スリリングな衝撃の舞台、光と闇の「マクベス」を、ベリャコーヴィッチ追悼の気持ちも込めて皆様にお届けします。この作品はベリャコーヴィッチが日本での上演を熱望し、果たせなかった因縁の舞台です。

 
 反乱軍との戦いに勝利したマクベスは、ともに戦ったバンクォーと息高く国王・ダンカンのもとにはせ参じる途中、三人の魔女たちに出会う。魔女たちは、マクベスはコーダーの領主となり、やがて国王になる運命にあると予言する。そして「正義は悪、悪は正義!」と呪文を口にしながら消えていった。

 思いもしない不気味な予言に動揺しながらもあり得ないことと一笑に付し、国王・ダンカンへの戦勝報告のために急ぐのだった。しかし事態は魔女たちの予言通りに推移していく。戦いの功により国王はコーダーの領主にマクベスを任じたのだ。
 「魔女どもは真実を知っていたというのか!ということは・・・・」。驚くマクベスは夫人にことの成り行きを話す。「それは予言よ・・・・きっと運命がそう約束したの。だって運命は気まぐれにあなたの頭に王冠を載せたりしない筈。忘れないで、その王冠をご自分の頭に載せるのはあなた自身だってことを!」
 ・・・・運命の扉は果たして・・・・。


第47回(45回)例会 横濱短篇物語

2020年 11・12月例会

劇団青年座

 

日時 11月26日(木) 18時半開演(18時開場)

会場 知多市勤労文化会館

 

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出会い、別れ、憧れ、嫉妬、友情


男と女、男と男、そして女と女
時代の流れの中でそれぞれの運命がもつれ合う
横浜のとある老舗ホテルを舞台に
マキノノゾミ氏が12年ぶりに新作を書き下ろした

 

舞台は横浜の老舗ホテル
奥山ハルコと柳井フミヨ、二人は同じ高校の演劇部員
憧れの映画監督に会いたいという思いから二人の物語は始まる
偶然の出会いと避けられない別れ
二人の道は時に離れ、時に近づき交差しながら人生の時を刻んでいく
1970年から5年ごとに時代を切り取った7つの短篇が
ネックレスのようにつながって物語を紡ぐ

 


第46回(44回)例会 送り火

2020年 9・10月例会

劇団民藝

 

日時 9月30日(木)

     18時半開演(18時開場)

会場 東海市芸術劇場 大ホール

 

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上演時間(休憩含む) 1時間30分(予定)

山あいの集落。中心を流れる谷川に沿って十数軒の家が並ぶ、その一番奥の家の中。八月十六日、お盆の最後の日の夕刻。
「七〇年もたった気がせんよ」。ここ数年、吉沢照は自分の身の振り方を考えてきた。身体的にも弱ってきているし、近くに親しい人はいるのだが他人の世話にはなりたくない。戦後、保育園の先生になった照は、子供たちに童話をよく読みきかせた。山あいに閉じこめられていた照はどこかよその国に行く夢をずうっとみていたのだろうか。
「アリスは不思議の国に。ハイジはアルプスの山を下りて町に。ウェンディはネバーランドに。ジョバンニは銀河鉄道の旅に」
……どっか遠くへ。ほじゃけどみーんな帰ってくる。


第45回(43回)例会        大空の虹を見ると私の心は踊る

新型コロナ感染対策を講じて半年ぶりに開催しました。

会員の方々の協力もあって、素晴らしい舞台に触れることができました。

ご協力ありがとうございました。

 

2020年 7・8月例会

文学座

 

日時 7月26日(日) 5時開演

会場 知多市勤労文化会館 つつじホール

        

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人々の夢の記憶が息づく場所、映画館。
赤字続きの映画館をたたもうと職探しを始める館主。
そこに、とうに家を出ていた息子が舞い戻ってくる。
いわくありげな男が息子を追って転がり込んできた。
親子の間には、十年前にいなくなった少年が影を落としている。
口にしなかった言葉、言葉にならなかった思いを
父と子はどう受け渡すことができるのか。
晴れ渡る秋空の下、映画館はラスト・ショーを迎える。


第42回例会 イヌの仇討

2020年 1・2月例会

こまつ座

 

日時 1月31日(金) 18時半開演 

会場 知多市勤労文化会館

 

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時代の真実は虚偽と謎だらけ。
現代と変わらぬ歴史のからくりと人間のドラマ、忠臣蔵・・・
武士の正義は、はたして本当につらぬかれたのだろうか。

討ち入り当日、密室でお犬様と炭焼き小屋に隠れていた吉良上野介は
どんな思いで首をはねられるまでの二時間を過ごしたのか。
吉良の目線から、その知的な興味を駆使して語られるスリリングな舞台運びは、
作者の目でみた忠臣蔵のもう一つの側面を浮かび上がらせる。
大石内蔵助の登場しない忠臣蔵は、逆に大石内蔵助を鮮明に浮き立たせ、
移り気な大衆の力によって美談として今に伝聞されるべき、作られた忠臣蔵ではなかったか?
さて、その真実は・・・こまつ座の初演から二十九年の時を経て、今甦る井上ひさしが描いた「忠臣蔵」異聞。



時は元禄十五年(一七〇二) 十二月十五日の七ツ時分(午前四時頃)。

有明の月も凍る寒空を、裂帛の気合、不気味な悲鳴、そして刃に刃のぶつかる鋭い金属音が駆け抜ける。
大石内蔵助以下赤穂の家来衆が、ついに吉良邸内に打ち入った。狙う仇はただ一人。
「吉良上野介義央」
ところが、やっとの思いでたどりついた上野介の御寝屋は蛻の殻だった。
上野介は、御勝手台所の炭小屋に逃げ込んでいた。
赤穂の家来衆が邸内を二時間にわたって、三度も家探しをしていた間、
身を潜めていたというあの物置で、彼らの心に何が起こったのか。
果たしてどんな事実があったのだろうか。
―――討ち入りから三百五十年、歴史の死角の中で眠っていた物語が、東憲司の演出によって二十九年ぶりに甦る。


思えば、あの白髪の品のいい老人が気の毒でならぬ。
ある日、些細なことを根にもたれ、いきなり切りつけられたばかりか、
あげ句の果てには殺されて、壮大な貴種流離譚のために、
三百年間、悪く言われっ放しのあの老人を、
私はときどき手を合わせて拝みたくなる。
――井上ひさし


井上ひさし版忠臣蔵『イヌの仇討』には浅野内匠頭も大石内蔵助も出てこない。
仇役・吉良上野介に光を当てた異色作である。
打ち入られてからの二時間、逃げ隠れた物置のみで進行する物語の台詞の数々は暗闇の中で光り輝き、
豊かに広がり、人間の生きる性を問い正してくれる。
権力に忠実なイヌとして生きてきた一人の老人を慈しみながらも、滑稽に笑い飛ばし、厳しく残酷に打ちのめす。
この物語は三百年前に起きた事件を通して今現在の日本の恥部をも晒けだしているようにも思える。
僕にとってこの戯曲は挑戦である。
赤穂浪士のごとく武者震いし、そして吉良上野介のように怯えている。
いずれにしろ覚悟を決めて、作者の愛溢れる言葉の渦に飛び込んでゆくのだ。
――東憲司